部屋の歴史

出羽海部屋 背景色

いにしえより、伝統と格式のある【相撲】

相撲精神と共に、出羽海部屋の創設精神を基に、時代に生き残る人材育成と、社会貢献できる人格者の輩出に努めて参りました

年数出来事
寛政末年出羽ノ海金蔵(後の運右衛門)、年寄資格を得て出羽ノ海部屋開祖となる
1890年鹿間津 滝右衛門が出羽ノ海滝右衛門に改名する
1914年常陸山 虎吉(最高位-前頭筆頭)、出羽ノ海運右衛門に改名し部屋を継承
1922年第19代横綱 常陸山 谷右ェ門、出羽の海谷右衛門を襲名し部屋を継承
1919年には幕内番付表の片側を、ほぼ半数を出羽ノ海部屋の力士で独占してしまう勢いであった
明治後期の黄金時代を築き「角聖」「大常陸」と敬称される
1949年両国 梶之助(最高位-小結)、出羽ノ海梶之助として部屋を継承
 1912年引退後、年寄入間川を襲名し、入間川部屋を創設
 出羽海の没後年寄入間川から出羽海に名前を襲名し、出羽海部屋を継承
 当時、出羽海部屋には現役関取として、横綱大錦と横綱栃木山の二人が綱を張っていた
 1931年には幕内番付表の片側20名を出羽海部屋で占めた
1960年第31代横綱 常ノ花 寛市、出羽海秀光として部屋を継承
 1930年現役引退し年寄藤島を襲名。その後出羽海に改め部屋を継承
 第2代日本相撲協会理事長という、相撲協会の最高峰を極めた
1968年出羽ノ花 国市(最高位-前頭2枚目)、出羽海喜偉として部屋を継承
 現役を引退し年寄武蔵川を襲名。常ノ花死去に伴い年寄名を出羽海に改め部屋を継承
 第4代日本相撲協会理事長として、先代出羽海に次ぐ偉業を遂げた
 1968年第50代横綱佐田の山引退に伴い年寄出羽海を佐田の山に譲り年寄武蔵川に戻る
1968年第50代横綱 佐田の山 晋松、出羽海智敬として部屋を継承
 1992年第7代日本相撲協会理事長の職に就く。協会に刷新の気風を醸成し、より一層時代の変革に合った改革で相撲道の発展に尽くした
1996年鷲羽山 佳和(最高位-関脇)、出羽海義和として部屋を継承
 出羽海部屋の再興と相撲協会理事として、重責を担い活動
 相撲協会の理事として、九州場所担当部長、事業部長、教習所長を歴任
 2014年 4月、定年退職
2014年小城ノ花(最高位・前頭)、出羽海昭和 として部屋を継承
 出羽海部屋の再興と相撲協会の若手年寄として期待されて、日々活躍中!